大川学園の歴史は、第二次世界大戦の終結とともに始まりました。
戦時中、空襲から逃れるために「もんぺ姿に防災頭巾」が一般的だった女性の服装。
ファッションを楽しむ余地など許されるわけもなく、少女たちの自由は大きく制限されていました。
そんななか、終戦とともに抑圧され続けてきた感情が一斉に爆発し「女子教育」という形で花開きます。
その欲求に応える形で、学園の創立者である大川二郎と大川愛子が埼玉県飯能市に学校を開学。
「真にその時代を担う人材を育成すること」を目標に教育環境を整えてきた校祖の想いと願いは、
今日の学校教育のあり方にも受け継がれています。

大川学園が創立された終戦直後の日本は、深刻な物資不足に見舞われていた時代でした。日々の食糧すら困窮するなかで、新しい服の材料が手に入るはずもなく、人々は手持ちの洋服や着物、生地を仕立て直して、手持ちの材料から服を作り出すようになります。
戦後に洋裁ブームが巻き起こり、多くの服飾専門学校が設立されたのには、このような背景があったのです。

当時、洋裁ブームと同様に社会的な高まりを見せたのは、女子教育への関心です。
戦時中に行動・思想ともに大きく制限されていた女性の社会的地位は、総じて低いものでした。しかし、戦後の復興に向けて日本が新たな時代に向かうにあたり、女性たちは自ら「高いレベルの教育を受ける権利」を求めるようになります。
そんな女性たちの熱い想いに応える形で、大川学園の基礎である飯能ドレスメーカー女学院は設立されました。

校祖・大川二郎と大川愛子が学園を設立する際、根幹に掲げたのは「教育を通して、学生たちの豊かな人間性を育むこと」でした。
学校をただ技術や知識を身に付ける場にするのではなく「人としてどうあるべきか」ということまで学べる場にしたい。人は一人では生きていけないからこそ、お互いを思いやり、助け合う、利他の精神をもって生きていってほしい。
校訓「自律・協調・奉仕」には、そんな校祖たちの想いがこめられています。

そのため、大川学園では、設立当初から奉仕活動に積極的に取り組んできました。赤い羽根の街頭募金活動や手話訪問、老人ホームでのボランティアなど、活動内容は多岐にわたります。
こういった活動を通して、学生たちが「他者の役に立つ喜び」を知り、多くの人々から愛される人間になって、社会に羽ばたいていってほしい。
これこそが校祖の願いであり、今日も変わらず基礎としてあり続けている大川学園の理念でもあります。

そして、80年の時を経て、社会のあり方は大きく変わりました。大川学園の教育体制も時代とともに変遷し、現在は高等学校と医療福祉専門学校を運営する学校法人となっています。
これからも時代のニーズや技術の進化に合わせて、柔軟に変化を遂げていくでしょう。
しかし、どれだけ形が変わっても、校祖が学校に託した想いと願いが色あせることはありません。大川学園を学び舎に選んでくれた学生たちが、学問だけでなく、学校教育を通して人間的な成長を得られるように。そして、世界に飛び立つための力を身に付けられるように。
私たちは、充実した教育環境の整備と一人ひとりの個性に向き合ったサポートに全力を尽くしてまいります。